過去に読んだ本の中でこんなお話がありました。
チャンスはバスのようなものである。準備して停留所にいないと乗ることはできない。ただ、逃してもそのうちまたやってくる。
そういうもんだよね、と結構納得感のあるお話で印象深く、私の記憶に残っています。
さて、最近まさにそのような出来事に遭遇したので記事にしようと思いました。起こった出来事をそのまま書くとよろしくないかなと思う部分もありますので、似たような感じの物語調で書いてみます。あくまでたとえ話ですよ!書いたとおりのそのものが起きたというわけではないのでご注意ください。
だいたいこんな感じ
私はとあるイラストレーターのファンで、その方のメルマガを登録していました。彼は日本語でも英語でもないよくわからない言語の国の方で、メールの内容は全くわかりません。ただただ、メールに添付されるイラストをみたいという理由だけでメルマガ登録をしていました。
毎日届くメールのイラストをみながら、日々楽しんでいたのです。
そんなある日、ふと思い立ちました。
「そうだ、彼の国の言語を勉強してみよう!」
勉強することでそのイラストレーターのメールを読めるようになり、彼が何を考えてそのイラストを描いたのかわかるのでは!と思い、勉強をはじめました。
しかしながら、モチベーションが続かず、ほんの少しだけ忙しくなったことを理由に、投げ出してしまいました。勉強はしないものの、メールだけは欠かさず毎日チェックし、メールに添付されているイラストは確認していました。
……数週間後
完全に忙しい状態が落ち着き、「あーそういえば、あの言語の勉強途中だったっけか」と、暇で特にやることもなくなったことから勉強に復帰しました。復帰してみるとどうでしょう、すらすらと勉強が進み、彼のメールの文章を、完璧とは言わずとも何となく読めるようになったのです!
「こういうこと書いてあったんだ、おもしれー」
と過去のメルマガを遡って読み漁っていました。
そしてふと目に入るのです。
ー活動休止前最後のオンラインサイン会のお知らせー
「は!!まじで!??絶対申し込まなきゃ!!」
そして、詳細を読み進めていくと、はたと気づきます。
「申込み締め切り昨日じゃん……」
そう、もしあのとき勉強を放り出さず続けていたら、このチャンスを掴むことができたのに……だって、メールそのものは毎日目に入れていたんだよ!悔しすぎる!
あとがき
はい。だいたいこんな感じです。チャンスを逃すことの怖さは、次いつ来るかわからないことですよね。。
今回の例では、「視える世界」が広がることでチャンスがちょっと少し前に過ぎていたことに気づきましたが、きっと「視えていないところ」で色々なチャンスを逃しているんでしょうね。
気づかなければ無いものと同じなので気にする必要もない、という見方もあるでしょうが、せっかくなら面白いことになりそう、新しい体験ができそう、といったチャンスが転がっているならできるだけ掴みたいなと思っています。
……
それにしてもタイミング悪かったな。ちくしょう。
コメント